エキスパートインタビュー
マイケル・ジャンスン 【経歴】 1970年ボストン医科大学卒業。マサチュセッツ州でインターンとレジデントを修了。1976年に開業し、キレーション療法、栄養療法、統合医療、予防医療を実践。1996年には当時のクリントン大統領の栄養顧問を務めている。全米を初め世界各地の学会や医師・一般向けセミナーで栄養療法を中心に講演、米国スピーカー協会の会員である。1994年には米国先端治療会議会長。著書"ビタミン革命(1996)"は全米のベストセラーになる。大の親日家でもある。
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1.点滴療法を始めるきっかけについてお聞かせ下さい。
私は医師として診療を始めた1976年にビタミンC点滴療法を始めています。きっかけは、大量のビタミンCが炎症性の病気や慢性疲労、免疫機能障害などの症状の改善に有効であるという医学論文を読んだ事でした。当時は35グラムのビタミンCをマグネシウムとビタミンB群などと一緒に投与していましたが、まだガンに対する高濃度ビタミンC点滴療法はありませんでした。
私がキレーション治療を始めたのは、ある学会に出席した時でした。下肢の切断につながる糖尿病性壊死性潰瘍病変を持った患者が、キレーション療法で切断を免れたのです。その病状経過を写真で見て、本当に驚きました。私は病理学者として、そこまで病状が進行した場合は切断するしか治療法は無いということを知っていたからです。1983年には、EDTAキレーションに関する詳細を学び、すぐに自分の患者にも治療を始めました。そして心臓疾患や脳血管疾患の患者の治療にキレーション療法を行うことで私は大きな成功をおさめました。
2.点滴療法をどこで修得しましたか?
もともと医学を勉強していた頃から点滴治療の方法は知っていました。この知識を、私の知っている栄養療法に応用しました。マイケル・サッチャー医師やワレン・レビン医師などこの治療法を行っている医師たちから直接教わったり、ロバート・キャスカートや他の点滴療法の先駆者たちとともに学会に出席しました。サッチャー医師は、私がキレーション治療を始めるように背中を強く押し出してくれました。
23年にわたり私はACAMのミーティング全てに出席し、1990年からはキレーション療法ワークショップの講師となりました。1990年代には、オーストラリアで2回、またフランスとスペインでキレーションのセミナーを開きました。そして私のオフィスでも、何人もの医師にキレーション療法を教えてきました。
3.点滴療法の師匠はいらっしゃいますか?
私はACAMのミーティングに出席し、キレーション療法の多くを学びました。そこで有名な”Bypassing Bypass Surgery”、”EDTA Chelation Therapy”の著者であるElmar Cranton先生とジェームス・フラックルトン医師の二人は、そこでの私の偉大な師匠でした。
4.これまでに印象に残っている患者さんについてお話しください。
ビタミンC点滴療法を始めて最初の頃、20年にわたる慢性疲労によってほとんど疲弊化してしまった患者を治療しました。彼女は働くこともできませんでした。たった1回のビタミンC点滴の後、彼女はすぐに体調が良くなったと感じました。6回の治療の後、彼女の病状の90%は消失したのです。他にもさまざまな病状の患者がビタミンC点滴療法によって改善しました。
EDTAキレーション療法でも印象に残る患者さんがいます。その男性はゴルファーでした。ところが彼は心臓病によりかなり衰弱してしまい、息切れせずにゴルフカートからグリーンまで歩くこともできませんでした。ある秋、彼はゴルフ仲間に来年の春に再び会うことはないだろうと言いました。彼は私のクリニックでキレーション療法を始め、15回ほど治療をすると、彼の病状はかなり改善しました。35回のキレーション療を終えると、彼は病気になる前の自分に戻ったようにエネルギーに満ち、再び友人たちとゴルフをプレイできる状態まで改善しました。
5.点滴療法研究会の会員へメッセージをお願いします。
点滴療法研究会の会員の皆様が栄養療法やキレーション療法になどの点滴療法の価値を認めて下さっているということを、とてもうれしく思います。また、私の経験を生かして皆様にキレーション療法や栄養療法、そして様々な病気の治療のための分子整合医学について教えることはとても幸せです。日本の人々は健康に良い伝統的食事をとってきましたが、残念なことにそれも変わってきているようです。私は安全で効果的な点滴療法を行うとともに、患者に健康的な生活法を教えるという会員の医師の役目がさらに重要になってきていると考えています。私はこれからも日本の伝統継承を助けつつ、素晴らしい治療法を日本で教え広めるために、柳澤厚生会長と協力していきたいと思います。